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Jugulator / JUDAS PRIEST

YOSI(実家) ★★ (2009-09-13 22:22:00)
長らくPRIEST自体、HM自体から遠ざかっていたが、久々聴き直しつつあるこの頃、聴きあきるほど聴いてきたPRIESTの諸作品の中で、今でも最も新鮮かつ新たな発見があるのがこれ。これが出た当時、一年間は毎日聴き狂ったにも関わらず。いまだに、凄まじい違和感に圧倒される、もちろんいい意味に置いてだ。よく正統派HMを語るのに良く使われるほめ言葉、「故郷に帰ったような思い」、「母の懐にいるような」云々。ロブの戻ったPRIESTにも良く使われる表現だ。しかしだ、そういう居心地の良さに定住するだけで、HMという先鋭音楽が生き続けられるのか。確かに故郷に戻るのもよい、ルーツに帰るのも素晴らしい。しかしそれは、冒険や挑戦があってこそ、たまの回帰がより嬉しいのでは。かたくなにルーツを守り続けるバンドも作品も尊敬する。しかし挑戦し、変化し続けることも圧倒的にすごい事だ。PRIESTはその両方をやってくれる。本当に偉大なバンドだと思う。これだけはいいたい。この作品は、決して安易なモダン・ヘヴィネスのパクリでも、売れ筋を狙った作品でもない。大体、これが出た97年当時というのは、モダン・ヘヴィネスというのはすでに終わった音楽で、パンテラやマシーンヘッドですら、デビュー当時の音から変化し拡散していた。HM界を覆った「総ダーク・モダン化」は、95年頃までに終わりを告げていた。売れるためにモダン化したバンド、作品の失敗例は嫌というほど見てきたPRIESTが、売れるためにあえてこんな事をする理由がないし、普通に小物バンドならいざしらず、PRIESTほどの大物なら、普通に従来通りのスピーディでストレートな音のほうが売れていたはずだ。じゃあなぜこういう音になったか?理由はいくつか考えられるが、ロブがバンドを捨て、後任者がなかなか見つからず、作品が発表できず創作意欲の行き場の無さ、フラストレーション、それを表現するための唯一の音楽性が、これしか無かったという、シンプルな理由が第一。そもそも多くのモダンヘヴィネス系バンドが、順調に活動して売れているのに、怒れる音を出している事が不自然で、PRIESTが長年活動したくでもできない怒りを、素直にぶつけたのが、ごく自然だ。さらにもう一つの理由は、多くのバンドが挑戦して失敗した、「正統派HMとモダンヘヴィネスの融合、その先にある新世紀のHMの姿」を追い求めたかったからだ。モダン化したバンドの多くも、ただ単に売れたくて変化したわけではないのだ。新たな時代の、新しい怒れる若者達、それらを新しいファンに取り込み、なおかつ昔からのファンも納得させる音を作り出し、HMの間口・人口を増やしたいという、前向きな思いも多々あったはずだ。実際それらがなければ、HMはジリ貧だった。2009年現在、HMというのは、十分に復活して、アメリカでもイギリスでも勢いを取り戻しつつある。今や、ハードコアやミクスチャーロックやニューメタル系のバンドが、かつてのHMに接近しつつあり、従来のHMも、より自然な形でモダン要素を取り込み、「現代的なセンスの伝統的HM」が生まれつつある。その伝統とモダンの融合を、最も困難な時代に、批判を恐れずにチャレンジした本作を、今こそ温故知新として聴いてほしい。